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30歳を目前にしての決断だった。
五十嵐一雄は、生まれ育った新潟を離れ、上京し職を探すことにした。
「ずっとコンピュータ関連の仕事に就きたいと思っていたんです。でも、新潟では求人がほとんどなく、東京しか、私に残された選択肢はなかった」
高校卒業後、25歳になるまで、五十嵐は好き放題、気の向くままの生活を送っていた。「いわゆるフリーター状態でした」と、五十嵐は当時を振り返る。
だが、25歳を超えると「このままではまずい」と考えるようになり、正社員として働くようになった。医療機器メーカー、ホームセンター、印刷会社など、職を転々とした。一つの職に長く居付くことができなかった理由――、それは
「やりたい仕事ではなかった」からだった。
「上京前に働いていた印刷会社は、DTPのオペレーター志望で入社したものの、実際の配属先は営業でした。それでも、充実した日々は過ごしていたのですが、入社2年目になった頃、不況のあおりで、業務縮小する事態になったんです。自分自身、30歳目前の時期で、コンピュータ関連の仕事に就くには、ラストチャンスだと思った。それで、東京に向かいました」
2002年11月、印刷会社を辞めると、すぐに上京し、まだ転職先が決まっていないのにも関わらず、住まいを決めた。「転職活動ができる期間は、貯金が尽きるまでの3ヵ月間程度でした」と五十嵐は話す。まさに背水の陣。
"俺はコンピュータ関連の職を探す、絶対に――"
02年12月は、転職活動に明け暮れた。そのとき、出会ったのがクロス・ヘッドだった。 「担当者がとても親身な対応をしてくれたんです。教育制度の充実ぶりも、未経験の私に"勇気"を与えてくれた。この会社で頑張ろうと決断しました」
五十嵐一雄 先輩からのメッセージ
入社後、まず驚いたのは、私と同年代で、この会社に転職してきた人が多いことです。
しかも未経験者も少なくなかった。そういう人たちと接していくうちに、年齢の不安は一切なくなりました。逆に、基礎研修を受けていくなかで「やっと憧れていた業界に入れたんだ」という"ワクワク感"が高まっていくのを感じました。
研修後の配属は大手電機メーカーの社内システム運用業務で、ここではグループウェア
「Notes/Domino」の運用管理と構築に携わりました。最初は分からないことばかりでしたけれど、ラストチャンスという気持ちで、この業界に入ったわけですから、何事もプラスに考え、必死に一つひとつの業務をこなしていきました。
この現場には3年間いましたが、あらゆる基礎が学べた貴重な日々だったと思います。
06年からは、本社ソリューション事業部(現在、ネットワーク技術本部)に異動し、お客様の要望に沿ったサーバー構築などを行っています。お客様に満足してもらえたときの感動は、言葉では言い表せません。
今、私自身、思っているのは「この会社に出会えて、よかった」ということです。だからこそ、もっと成長していかないといけません。後進の指導も含め、自分の役割を120%果たしていきたいですね。
取材日: 2008年7月







